Good Ole Boy の
「サンディエゴの歴史」

(2003年4月27日)

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世界一のサンディエゴ動物園

その始まりは、ライオンの一声

1916年の9月中旬、34歳になって8年の経験を積んだ外科医、ハリー・ウェジフォース博士は、サンディエゴ・ダウンタウンにある自分のオフィスに向かって車を運転していました。ちょうど6番街あたりまで来ると、ウォーというライオンの鳴き声が聞こえてきたのです。 耳を澄ませるウェジフォース博士の頭の中に、素晴らしい考えが浮かびました。あの動物達を基にして、素晴らしい動物園を造る事でした。

あの動物達とは、前の年にサンディエゴのバルボアパークで開かれた、「サンディエゴ・パナマ・カリフォルニア博覧会」に出品された数種類の動物達が、まだそこに、そのままほっておかれて居たのです。

外科医、ハリー・ウェジフォース博士

ウェジフォース博士は1882年、メリーランド州のバルチモアに生まれました。13人兄弟中で後半に生まれたハリー少年は、色々な事に興味があって、カニやカメや蛇やトカゲなどを集めては裏庭で飼っていました。 11歳になるとサーカスに興味が出て、天性のバランス感覚から綱渡りが上手くなり、12歳では高く張った綱渡りまでこなすようになり、サーカスの一員として旅に出てしまいました。 そして、心配した長兄に連れ戻されたこまでありました。

高校生になったハリー少年は、やがて自分の進路を定めて医者になる事にしたのです。アルバイトをやって苦学をしながらメリーランド大学の医学部を卒業し、西海岸のシアトルに職を見つけました。そしてそのすぐ後にサンディエゴに来ました。 患者達からも好評を得て、骨の外科医として有名になってゆきました。

ユニークなやり方で出発

ウェジフォース博士は、ライオンの一声を聞いてひらめいたアイデアを、同じく医者になってサンディエゴに来ていた兄弟のポールに話しました。 色々な方策を考えた末に、子供の時から行動的であった博士は、もうその日の夕方にはサンディエゴ・ユニオン新聞社に現れました。新聞社で編集責任者にあって、自分の考えをぜひ新聞に載せてくれるよう依頼しました。

さっそく翌日のサンディエゴ・ユニオンには、ウェジフォース博士がどうやってサンディエゴ動物学協会を創り、サンディエゴ動物園が動物学協会の基金で運営され、サンディエゴ・パナマ・カリフォルニア博覧会に展示された珍しい動物達が基になり、 その維持にはあまり経費がかからない事などが載りました。

読者からは好意的な反応が多数寄せられ、援助を申し出る人達が多くなりました。翌月の10月2日には早速3名の発起人・役員で第一回の会議が開かれて、サンディエゴ動物学協会が発足しました。それに引き続いてニューヨーク動物学協会をモデルにした活動を組み入れ、 サンディエゴ市と市公園局にサンディエゴ動物学協会設立と動物園運営の届が出され、正式に認可されました。

世界中の多くの動物園は国立、県立、市立など公的機関の運営が普通ですが、サンディエゴの場合は非常にユニークなやり方で、これがその後の多くの人達の支持を得て、今日まで発展した基礎のように見えます。

資金集めとその後の発展

サンディエゴ動物学協会設立と動物園が発足して6年くらい経ってから、海軍の軍艦でペットとして飼われていた小熊が寄付されました。この子熊「レディー」が、初期のサンディエゴ動物園の基礎造りに一役買った重要な出来事となりました。

小熊が急速に成長するにつれて、簡単に作ってあった檻を壊しました。もう小さい檻に入れてもかわそうなので、寄付を仰いで、バルボア公園の北に広がる谷や台地を使って自由に動ける囲いを作りました。 しばらくすると、成長した熊は、隣の動物を入れた囲いにまで達する穴を掘ってしまいました。放っておけないので、また寄付を募って、コンクリートの床にしました。このように、この熊によって動物園の仕組みや、運営を教えられたようです。

動物学協会発案者のウェジフォース博士は、当然その中心で活動をしていました。博士がサンディエゴでは名を知られた外科医であった事、その交友関係がサンディエゴの経済界や政界にまで広がった事、博士自身が積極的な活動家であった事、などからサンディエゴ動物園は順調に発展しました。

動物園の運営に関するアイデアもユニークなものが多くあります。その中に、1926年にはすでに広い敷地内を循環するバスが登場しました。これは今でも人気の的です。またその頃から子供達の野外教育活動の一環として、動物園での授業が始まりました。動物園ニュースが発行されて、 動物学協会員には無料で、一般には有料で配布されました。1972年にはワイルド・アニマルパークがサンディエゴ郊外のエスコンディドに開園されました。

更にまた1975年には、「希少種動物繁殖センター、CRES」が設立されて、絶滅の危機にさらされている希少動物の保護や繁殖を目指す、学術的な研究が出来るようになりました。 この希少種動物繁殖センターの活動が、動物園の収集する種の多さとあいまって、最近の、サンディエゴ動物園が世界一という名声をはせる大きな要素になっています。 中国と提携してパンダの人工的な繁殖を手がけて成功するなど、多くの実績を積んでいます。

筆者が見たもの

私の個人的な経験としては、何回もサンディエゴ動物園を訪れましたが、単に動物を展示するだけでなく、動物に芸をさせたり、ケーブルカーを設置したり、個人的なパーティーを受け入れたりして、最近の商業主義も上手く取り入れています。

また昔々、希少種動物繁殖センター、CRESが出来たての頃、動物学者であった昭和天皇がサンディエゴ動物園を訪れています。若き筆者も、日の丸の小旗を持ってその場に居合わせた一人ですが、サンディエゴ動物園は、当時、もうそれほど有名になっていました。後に首相になった当時の外務大臣、 福田赳夫氏が随伴していた事を覚えています。


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