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Good Ole Boy の 「サンディエゴの歴史」
(2002年10月11日)

保安官、ワイアット・アープ
OK牧場の決闘
映画、「OK牧場の決闘」は、アリゾナ州の南はづれの鉱山町、ツームストーンに乗り込んだ敏腕保安官ワイアット・アープが、盟友のドク・ホリデーや自身の兄弟と、ならず者クラントン一家が立てこもるOK牧場に乗り込み、
相手を物の見事にやっつけるという筋書きの映画でした。
 若き日のワイアット・アープ
ワイアット・アープについては、「Gunfight at the OK Corral (OK牧場の決闘)」、「Tomstone」、「Wyatt Earp」、など多くの映画が造られていますが、
またそれ以上に多くの本も出ています。当時は法と秩序が確立されていないワイルド・ウエストの真っ只中の話ですから、歴史家が色々調べて書いていますが、細かい事は依然霧の中のようです。
どの映画でもワイアット・アープは敏腕保安官で正義の味方、クラントン一家はならず者の集団とならざるを得ないようです。事実は必ずしもならず者の集団ではなく、
ワイアット・アープや警察署長をやっていたワイアット・アープの兄のバージル・アープ等のグループと、クラントン一家との間が色々な出来事を経て仲たがいが進んだのが真相のようです。
そしてついに1881年10月25日の夜、酔っ払ったクラントンの息子がドク・ホリデーに罵声を浴びせ、ドク・ホリデーやワイアット・アープに追い返された事から事態は急に険悪な状態となりました。
翌日、彼らが仕返しの為に武装しているという情報に、ワイアット・アープ、ドク・ホリデー、バージル・アープ等が警察の責任で武装解除させるべく OK 牧場に行き、ガン・ファイトに発展したようです。
そしてクラントン側の3人が射殺されました。
もちろんこの後、ワイアット・アープとドク・ホリデーはクラントン一家から殺人容疑で訴えられて、裁判があり、保安官として武装解除の任務に当たっての正当防衛であるとの判決が出ています。
細かい議論はあるにしても、ワイアット・アープはヒーローであり、悪人を懲らしめる敏腕保安官のイメージは消えません。これは多分、多くの映画が作られて、勧善懲悪の単純な筋書きが大衆受けしているせいでもあるのでしょう。
このように敏腕保安官ワイアット・アープを少し疑問符付きで書き始めたのは、それなりの訳があります。色々調べて行くうちにアープのもう一つの顔、ギャンブラー、賭博場のオーナーという違った一面を発見して、
当時の状況から考えると、なるほどギャンブルも立派な職業?であったのかとやっと納得が行った次第です。
ワイアット・アープとギャンブル
ワイアット・アープが保安官をしていたカンザス州のウィチタやドッジ・シティーで勇敢な保安官としてして名が売れると同時に、ギャンブラーとしての腕も磨いたようです。なにしろ当時、ワイルド・ウエストの中心のカンザス州では、家畜の集積場ともなっていましたから、
家畜すなわち牛の集積がある時は、ならず者のカウボーイが大勢集まって保安官も大忙しになりますが、シーズンが終わるとそれこそ閑散となって暇をもてあそぶようになります。こんな季節は、やはりギャンブルをじっくり出来るようになるわけです。
数年してワイアット・アープが、昔は歯医者をしていて今はガンマンである盟友のドク・ホリデー等と連れ立って、アリゾナ州のツームストーンの鉱山町にやって来ました。そしてオリエンタル・サルーンという酒場のオーナーの一人になりました。こんなところは映画では絶対出てきませんが、
ワイアット・アープがその後どうしてサンディエゴに来たのか、太い線でつながっている所です。
ワイアット・アープがサンディエゴにやって来た理由
OK牧場の決闘から5年ほどたって、ワイアット・アープと妻のジョーズィーがサンディエゴの地にやって来ました。1886年当時はサンディエゴが土地ブームに沸き、大発展をしている絶頂期でした。アロンゾ・ホートンが開発を始め発展を軌道に乗せた、
今のダウンタウンのガス・ランプ地区にサルーン(酒場)を持ち、不動産にもかなり派手に投資したようです。
歴史家によると、ワイアット・アープは4軒ものサルーンやギャンブリング・ホールを持ち、そのうちの一つ、オイスター・バーという有名なサルーンがガスランプ地区の5番街にあったそうです。
当時の賭博場がどこでもそうであったのかは知りませんが、ブラックジャック、ポーカー、キノを始め20数種類のギャンブルが出来る様になっていたということです。
また懸賞金のかかった色々な行事には、保安官の経験を生かしてレフェリー役として参加したり、サンディエゴやティファナでボクシングの興行を打ったり、競馬に投資したりしました。
不思議な事に、ワイアット・アープがサンディエゴに居た5、6年は多くの歴史書がほとんど触れていず、「失われた年月」のごとく抜け落ちています。
この頃から多分拳銃を抜くような事件も急速になくなり、かってのガンマンがインベスター、投資家に変わって行った時だったのでしょう。
この後、ワイアット・アープは金鉱ブームに乗ってアラスカのノームに渡ってサルーンを経営したり、ネバダ州に帰ってきてサルーンを持ったり、かってのガンマンの顔がまったくありません。
 ネバダ州トノパにあったワイアット・アープのサルーン
晩年はロスアンジェルスに移って、初期のハリウッド映画にコンサルタントとして協力したり、愈々自適の生活を送り、80歳の天寿をまっとうしました。彼ほど有名になり、しかもベッドの上で大往生を遂げたガンマンはそう多くはなかったと思います。
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