Good Ole Boy の
「サンディエゴの歴史」

(2002年10月11日)

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もう少しで、サンディエゴの半分がメキシコ領になりそうだった!

アメリカ・メキシコ戦争

カリフォルニアは昔、メキシコの領土だったという事実はかなりの人が知っていますね。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは15世紀の終わり(1492)でしたが、 それに引き続いて、コルテス率いるコンケスタドールが中米大陸遠征(1519−21)を行い、アステカ王国を滅ぼして、ニュー・スペイン、今のメキシコを造りました。そしてアステカ王国の首都であったティノティティトラン、今のメキシコ・シティーに中心を置いたのです。

ニュー・スペインはどんどん発展し、人々は当時のカリフォルニア(今のカリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州、ユタ州、コロラド州)やニュー・メキシコ(今のニュー・メキシコ州、テキサス州)などに進出して行きました。

一方アメリカ大陸北部では、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれている清教徒の一団が、新天地を求めて、メイフラワー号で今のニュー・イングランド州に入植し(1690)、アメリカ合衆国が建国されました(1776)。東海岸では工業が進み、農業も進み、西へ西へと発展していました。 特に綿花の栽培が盛んになった南部では、農場が西へと拡大して、今のテキサス州にまで入っていったのです。

1821年、スペイン王に絶縁状を出して独立したメキシコは、その勢いに乗って領土を確実にするために、テキサスにも軍隊を送っていました。当然南下するアメリカ側と北進するメキシコ側との間ににあつれきが生じ、テキサスでメキシコ側が戦火を開いたのです(1846)。これが、アメリカ・メキシコ戦争の始まりです。


Universidad Nacional Autonoma de Mexico より拝借

そのうち、アメリカの軍隊に首都のメキシコ・シティーにまで攻め込まれて、首都を占領されてはそれまでです。グアダルーペで平和条約(グアダルーペ・ヒダルゴ条約)を結び、メキシコ政府がカリフォルニア州、アリゾナ州、ニューメキシコ州、ネバダ州、ユタ州、コロラド州、テキサス州などをアメリカ政府に明け渡すのと引き換えに 1千5百万ドル(1千万ペソ?)を補償金としてもらい、戦争が終結しました(1848)。これがアメリカ・メキシコ戦争です。

国境の線引きに問題がある?

さて当時は、今ほど完全な地図があるわけではなく、ましてやアメリカ人があまり行った事も無い辺境での国境線引きですから、メリカ・メキシコ戦争終結のグアダルーペ条約による国境線引きには、色々な問題が起きまし。

条約には、国境線はメキシコ湾のリオ・グランデ川口からリオ・グランデ川をさかのぼり、ニュー・メキシコの南境を通り、ギラ川がコロラド川に流れ込む合流点を通過し、上カリフォルニアと下カリフォルニアの境を西進し、太平洋までいたる。 但し、上カリフォルニアと下カリフォルニアの境を特定する事は困難であるため、合意事項としての上カリフォルニアと下カリフォルニアの境は、1802年発行のドン・ファン・ポントハの地図に載っているサンディエゴ港の南端から、1海里(9.5マイル)南の地点とする、となっています。

ここで、今のサンディエゴが、あわやその半分がメキシコ領となりそうになった事件が起こったのです。

両国の公式立会人と測量士達は、条約に基づいた1802年発行のドン・ファン・ポントハの地図を使い、サンディエゴ湾の南端から1海里(9.5マイル)南の地点まで測量して、合意地点に測量基点の塔を建て、国境と認定しました。そして使用した地図上に国境線を記入して、サインをしました。公式文書が出来上がりました。

アメリカ政府とメキシコ政府の代表が国境線を書き入れて、サインを終了した公式地図。

サインの上の手書き文字の直ぐ上に、直線で国境線が入れてある。

サンディエゴ歴史協会から拝借

ところが数年してメキシコ政府からクレームがつき、条約での国境はサンディエゴ港の南端から、1海里(9.5マイル)南の地点なのに、実際はサンディエゴ湾の南端から1海里(9.5マイル)南の地点になっている、と。

当時のサンディエゴ港の中心は、現在バラスト・ポイントと呼ばれている、サンディエゴ湾の北端でしたから、その中心から1海里(9.5マイル)南が国境とすると、現在のマリオット・ホテルやコンベンション・センターのあるあたりに国境線が来る事になり、サンディエゴの南半分がすっぽりとメキシコ領になってしまいます。 「サンディエゴ港」の解釈の違いが問題になる所です。当然サンディエゴ湾全体がサンディエゴ港ですよ。

もちろん、公式代表がサインした公式文書ですから、それを覆す事は難しく、サンディエゴはまだアメリカ国内に有ります。もしもバラスト・ポイントから9.5マイルを測量していたら、今のサンディエゴは、南半分がなかった事になりますね。現在のチュラビスタ市や、ナショナル・シティーはメキシコ領となっていたんですよ。 この地区は、その意味でラッキー地区ですね。

サンディエゴから、隣町のメキシコのティファナ市までは30マイルそこそこですから、サンディエゴは本当に国境の町です。


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